「不遇な東大卒社員」はなぜ生まれ続けるのか?


将来を約束されたはずなのに――。
不遇な東大卒社員が生まれる背景

将来を約束されていたはずなのに、なぜか不遇なポジションにいる東大卒社員を、見かけたことがないだろうか。彼らはなぜ、出世コースを外れてしまったのか

日本の最高学府・東大法学部――。

ここを卒業した多くの人が、中央省庁、政治、実業界、アカデミズム、ジャーナリズムなどの最前線で輝かしい実績を残している。「自称・一流大学」ではなく、誰もが認める一流大学だけのことはある。

ところが、多くの卒業生が活躍する一方で、組織において活躍できず、侮辱や嘲笑の対象にされている人もいる。日本の最高学府と言われる東大卒の中から、なぜそのような人が一定割合生まれるのだろうか。これは企業の会社員の中で、長年「謎」として語られてきたことでもある。今回は、ある企業に勤めている1人の男性を例に出しながら、不遇な東大卒社員が生まれ続ける背景を探ってみたい。

今回紹介する男性は、「マスコミの東大」と言われる一流の報道機関に就職しながら鳴かず飛ばずで、50歳のとき部下に対して「退職脅迫」をしでかした。これが大きな問題となり、社内では「飼い殺しの扱い」となった。今、雇用延長の社員として退職を目前に控えている。

なぜ、この男性はそんな行為をしてしまったのか――。その謎を探ると、背景に「学歴病」の存在が浮かび上がってきた。後述するように、世間の会社ではこの男性ほど過激な行動をとる者は少ないだろうが、実は劣等感にさいなまれるあまり、似たような行動に走る人はいるのではないだろうか、と筆者は感じている。


JR新宿駅から歌舞伎町方面に歩くこと、15分。靖国通りに面する6階建てのビルに、かつて新宿労政事務所があった。現在の、東京都労働相談情報センターである。都庁の出先機関であり、職員が解雇や退職強要などの労使紛争を調停し、解決する。

十数年前の夏の暑い日、ここにある放送局のグループ会社(正社員300人ほどの番組制作会社)の本部長・東村(仮名)が現れた。東村の管轄する組織内で労使紛争が起きたのだ。部長である坂下(仮名)が、男性社員・田口(仮名)に退職を強く迫った。それは脅迫に近いものだったという。田口は怒り、社内に労働組合がなかったため、新宿労政事務所に訴え、調停が行われた。東村はこの騒動を受け、労政事務所を訪れたのである。

東村の淡々とした声が室内に響いた。

「坂下は、もともと重度の心の病になっていて、私どもも困り果てていました。しかしながら、そんな彼への監視を怠り、田口君に不快な思いをさせてしまったことを悔やんでいます。今後は、このようなことがないように、労務管理をきちんとします」

こう言うと東村は立ち上がり、深々と頭を下げた。髪の毛が1本もない、尖った頭頂部だった。頭を下げたのは、テーブルを隔てて座る田口に対してである。田口は、東村がトップを勤める番組制作本部の一員であり、31歳のディレクターだった。

田口の横に座るのは、新宿労政事務所の職員。職員がその後、東村に和解文書の手続き書類などを手渡し、説明する。東村は腕を組み、無表情だった。その姿を半ば放心状態で、半ば疲れ切った表情で見つめる田口は、直属上司である部長の坂下を思い起こした。

「いつのまにか、あの人(坂下)は、重度の心の病となっている。とても、そうは見えない。結局、本部長や役員などは、あの人をスケープゴートにして、今回の問題を終えようとしている。『トカゲのしっぽ切り』だ……」

本当に心の病だったのか?
「退職脅迫」で失脚した東大卒部長

田口の上司である坂下の年齢はこのとき、50歳。背は165センチほどで、太り気味。腹部や首などに脂肪がまとまわりつく。それでも、表情などは30代半ばくらいに見える。

彼のキャリアは輝かしい。都内の高校を卒業時、東大を受験しようとしたが失敗。1年の浪人の末、東大の文科一類(法学部)に合格した。4年生時の就職試験では、放送局の記者職を受験し、内定を得た。この局の記者職は、入社の難易度が「マスコミの東大」と言われる全国紙の記者職と同レベルである。

入局後は20代の頃から、同期の中では平均的なペースで昇格をした。世間から見ると嫉妬の対象になるかもしれないが、ここ十数年、前述した「退職脅迫事件」の噂が広がったため、局内で立場を失っていた。

通常、会社の責任ある立場の者が社員に対して退職するように促すのが「退職勧奨」。本人が「辞めない」と意思を表明しているのに、なおも辞めるように仕向けるのが「退職強要」。これは民法の損害賠償の請求対象行為であり、不当な行為である。

坂下は、これを飛び越えた行為をした。狙いを定めた男性社員・田口を社内の個室に繰り返し呼んだ。その頻度は1ヵ月に6回、1回につき1時間近くにも及んだ。

その間、坂下は田口に向かって、「辞めろ」「辞めろ」と罵声を浴びせた。机をたたき、大声を出し、怒鳴り続けた。田口が仕事で大きなミスをしたわけでもない。中途採用で入り、まだ2年目。しかも30歳。ミスをしようにも、それほど大きな仕事を与えられていない。

坂下はそれでも、刑事事件にもなりかねない「脅迫」めいた退職強要を繰り返した。東大法学卒とは信じがたい、知性も良識も常識のひとかけらもない、犯罪類似行為である。曲がりなりにも報道機関での出来事であり、日頃「社会正義の実現」を唱えている放送局の管理職としては問題がありすぎる。

 

 坂下は当時、局のグループ会社に出向していた。創業し10年ほどが経った、正社員300人ほどの番組制作会社だ。ここの制作部の部長だった。部員は60人ほど。「出世コース」とは言い難いものだった。むしろこのまま局に残っても、もはや本部長や局長などの幹部には到底なれない、という意味合いを含んだコースだった。

東大法学部卒の坂下には、初めての挫折だったのかもしれない。東大出身者だが、仕事に関しては平々凡々とした評価だっただけに「ワン・オブ・ゼム」の扱いだったのだろう。

《「ワンノブゼム」とも》その中の一つ。大勢の中のひとり。

「到底まともな人間ではない」
酒の席で周囲に嘲笑される悲哀

坂下は、自らの退職脅迫が新宿労政事務所に持ち出されると、怯えた。慌てて、上司である本部長の東村に助けを求めた。田口は、個室の中でのやりとりをマイクロカセットで録音し、職員に提出していた。こんなことは、報道機関としては前代未聞である。坂下はおそらく、田口がそこまでの行動に出るとは想像できていなかったに違いない。「素直に辞表を出す」と睨んでいたはずだ。

田口の行動は、迷いに迷った末のものだった。もう、会社には残ることができない、と察知していた。でも、せめて一矢を報いたい。その一心だった。本部長・東村もまた、局からの出向組である。担当役員である山本(仮名)の指示もあり、東村は坂下の代わりに、新宿労政事務所に出向いた。1ヵ月間で数回にわたり、相談員や田口と話し合った。

このとき東村は、「心の病である部長の坂下と部員・田口との問題」という位置づけで、労政事務所と話をした。「経営側である本部長の私も、役員の山本も、人事部も皆知らないところで起きたことであり、実に迷惑をしている」といわんばかりだった。まるで誰かに言いくるめられているかのように、1人で話し続ける。あたかもリハーサルをしていたかのように、慣れたものだった。

しかも終始一貫して、坂下のことを「重度の心の病のため、部下を脅迫し、辞めさせようとした部長」と強調した。挙げ句に、「過去に心の病に何度もなり、その都度周囲は迷惑をしている」とも付け加えた。田口には初耳のことであり、信じられないものばかりだった。東村は、役者のように嘘をつき続けた。「持て余し者は、部長の坂下こそなのだ」と繰り返した。

「坂下の精神はまともではない」「坂下は管理職とは言えないレベル」「坂下は家庭でも不和が絶えない」

田口はそんな言葉を聞くと、胸が詰まるような息苦しささえ感じた。ひどい目に遭わされたとはいえ、一応は坂下は自分の上司なのである。ここまでひどく言われていると、聞くに堪えなかった。

数ヵ月後の人事異動で、東村は親会社である局に戻った。栄転に近いものだったという。坂下も数年後、いったんは異動になり、局に戻った。「出世コース」から完全に外れた部署の「部下がいない部長」になった。絵に描いたような左遷だった。

この頃、すでに「重度の心の病で、部下を退職脅迫した部長」というキャッチコピーが、職場に広く浸透していた。数年後、早期退職により50代後半で退職した。能力や実績にふさわしくない莫大な退職金を手にしたと、局内では笑い話になっていた。

その後、他のグループ会社に雇用延長社員として勤務した。東大法学部卒を感じさせない、その未練がましく惨めな末路が、嘲笑の的になっていた。「坂下は恥じらうことなく、会社のホームページにあるコラムのスペースに妄想のような日記を書いては、独りで喜んでいる。認知症気味ではないのか……」と後ろ指を差され続けた。

いつしか劣等感や嫉妬心の塊に
部長を陥れた「2つの狡猾な罠」

坂下はそのグループ会社に数年間勤務し、足もとで辞めようとしている。65歳が近い。犯罪類似行為である退職脅迫をした理由を、実は自分でも今なお正確にわかっていないフシがある。心の病だからなのではない。実は、周囲から巧妙に仕かけられた罠だったから、理解ができていないのだ。

仕掛けの1つは、事件が起きた頃、子会社の同じ部署にいた社員・内村(仮名)が巧妙につくったものだった。内村は、当時30代後半。プロパー社員として中途採用で入り、数年経った頃、40歳を前に伸び悩んでいた時期だった。そのときに、中途採用で新しく入ったのが30歳の田口だった。内村は自分の立場が脅かされる、と感じたのだろう。田口は、先輩である内村を立てることをあまりしなかった。いつしか2人の間に、距離が生じた。内村は、部長・坂下のもとへわざわざ出向き、嘘をつき続けた。「田口は、坂下さんの仕切りを批判している」と――。

あることないことを吹聴すると、坂下は次第に洗脳されていった。彼には、感化されやすい下地があった。東大法学部卒でありながら、昇格が遅れ、50歳を目前に子会社の部長でしかない。自分は「落ちこぼれ」だと、劣等感を抱いていた。実際に、子会社時代の坂下からそうした愚痴を何度も聞いていた同僚は、局内に複数いたという。また、自らのポジションに不満を持っていることは、誰の目にも明らかなほどだった。

自分を大きく見せたい。なめられたくない。人からもっと称賛を受けたい――。最高学府で学んでいたという、過去の栄光が消えなかったのだろうか。自分には、期待したような能力はなかった。そんな現実を受け入れることができない。そのときの彼は、まさに「学歴病」にかかっていたのではなかろうか。屈折した劣等感に懲り固まる坂下を、ひと回りも年下でありながら、したたかな内村は利用した。田口をいじめるように仕向け、退職脅迫をするようにそそのかした。

もう1人、坂下にそっと近づいた男がいる。彼が講じたのが、2つめの仕掛けである。田口が中途採用で会社に入る前に数年間勤務していた、番組制作プロダクションの社長だった。当時40代後半だったこの社長は、50歳だった坂下と年齢が近い。下請け会社を長年経営しているだけに、放送局にいる世間知らずの中途半歩なエリート社員をそそのかす術は心得ていた。

社長もまた、田口についてあることないことを吹聴し、坂下に迫った。酒の場に何度も誘い、ただで飲み食いをさせた。

「あんなやつは辞めさせてください。あいつは、うちの会社のお金を持ち出し、辞めていった……」

これも嘘である。社長は、自分と口論の末退職し、放送局のグループ会社に転職した田口のことを許せなかったのだ。もともと業界では、トラブルメーカーとして知られる男である。本来、こんな社長の言い分を真に受ける者は少ない。ところが坂下は、面白いほどに洗脳された。自分を認めてくれる人に、心の底から飢えていたからだ。

「学歴病」に取りつかれた
エリートの哀れな末路

2人の狡猾な男にそそのかされ、坂下は部下である田口に退職脅迫をした。調子に乗って、何度も脅した。そのやりとりを録音されていることに気づくことすらなく……。退職勧奨と強要、脅迫の区別すらついていなかった。実は、そのターゲットは誰でもよかったのかもしれない。自分を大きく見せて、威厳を保ち、劣等感を克服できるならば……。

最高学府を卒業したものの、人生は思い描いたように進まなかった。いつしか、極度な劣等感や嫉妬心の塊となっていた。優越感が強いだけに、その反動で劣等感もすさまじいものとなる。その結果、あっけなく我を見失い、卑怯な輩たちにそそのかされ、犯罪類似行為をしてしまった。そして、後輩である本部長の東村に尻拭いをしてもらうハメになった。

この一連のゴシップが十数年、坂下の周囲で面白おかしく吹聴されていることすら、本人はいまだ気がつかない。学歴病にとりつかれた“エリート”が、長い会社員人生を今、終えようとしている。

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