たくましい女性CEO:マリッサ・メイヤー③


グーグルが業界を支配していく

APM実験を拡大する許可をメイヤーは得た。

ラコフスキのような新卒生を雇い、彼らを各エンジニアチームに配置する。毎週彼らとミーティングをして、彼らが携わっている製品開発の進捗状況を確認した。もちろん、彼らがチームとうまくやっているかもチェックする。

最終的に、正式にAPMプログラムをスタートさせることになった。期間は二年、四〇人前後のAPMを雇った。プログラムの一年目が終わったころ、メイヤーはAPMたちを世界旅行に招待した。世間の人々がグーグルをどのように利用しているのか、彼らに見せるためだ。

 このプログラムからグーグルは大きな利益を得た。組織が若返った。しかし、最も大きな恩恵を受けたのはメイヤー自身だ。たくさんの若者を雇い、彼らを直属の部下として全プロダクトチームに配置することで、彼女のグーグルでの権力が一気に強まった。彼女こそがグーグルのコンシューマー・プロダクト部門の実質上のトップとなった。

ときには、エンジニアたちがAPMの受け入れを拒むこともあった。二〇〇三年、新しく発足したチームにブレット・テイラーという名の男がAPMとして初めて顔を出した。するとチームのエンジニアリングマネジャーが彼にこう言った。「君は役立たずだ。プロダクトマネジャーといっしょに仕事をするつもりはない」

しかし、APMプログラムはグーグル首脳のお墨付きをもらっている。テイラーも引き下がるわけにはいかない。

メイヤー自身、自分のやっていることがある種の縄張り争いであることは理解していたが、けっして権力闘争だとは思わなかった。自分ができることはすべてやる。それが会社にとってベストなことだと、みんなが認めている。そう考えていた。最高のチームに属し、その役に立ちたい。ずっとそう願っていた。

メイヤーはAPMプログラムに誇りをもっていた。ほかの人々の前では内気な彼女も、自分が選んだAPMたちの前ではそうではなかった。世界旅行の最中、彼女は彼らの指導者であり、スポークスマンだった。オフィスでは、彼らの個人的なあるいは仕事上の問題に対するアドバイザーだ。

もちろん、APMの全員がメイヤーを好きだったわけではない。気が合わない者もいた。しかし、そんな彼らも、メイヤーに気に入られ、彼女の独特な性格に慣れることさえできれば、彼女を受け入れるようになっていった。するとメイヤーのほうも、より親密につきあってくれる。ラリー・ペイジとの生活などプライベートな話もしてくれるし、ジョークを言い合うこともできた。

逆に、気に入らないAPMに対しては、メイヤーは非常に冷たかった。彼らの仕事を批判した。そうした批判になれていないAPMにとっては、メイヤーはわずらわしい存在だった。APMプログラムが始まってから三年ほどの期間で、一〇人を超えるAPMが涙を流しながら、メイヤーのオフィスを去って行った。

二〇〇三年、CEOエリック・シュミットはすでに周知の事実であったことを公式に発表した。検索を含むグーグルのコンシューマー・プロダクトすべてのユーザーインターフェイスの責任者として、マリッサ・メイヤーを指名した。そして二〇〇五年には彼女を副社長に任命した。彼女の顔写真と経歴がグーグルサイトに掲載された。

二〇〇〇年にUIミーティングに参加してから、わずか五年で副社長だ。信じられないスピードで出世した。

グーグル検索は業界を支配していた。人々はGメールやグーグル・ニュース、グーグル・マップに群がった。

この成功はメイヤーの情熱によるところが大きい。彼女は〝ユーザーの通り道〟を可能な限り簡素にすることに執着した。一般のユーザーがウェブを利用するときに、どこをクリックするのか、どんなプロセスを利用するのかを考え、その道筋を単純にすることを目指した。

いわば、〝共感〟がもたらした勝利だ。

子供のころから人になじむのが苦手だったマリッサ・メイヤー。ロボットと呼ばれたことも、高慢ちきと言われたこともあった。人の目を見て話すことすらできなかった。部下のプロダクトマネジャーを冷たい態度であしらった。

その彼女が、グーグルの何千万、何億という数のユーザーと心を通じ合わせたのである。

どうして、そんなことが可能だったのだろう?

五点以内」「98パーセント」

 それは、彼女が精神的なガイドラインとしてルールとプロセス、そして模倣を自分に課していたからだ。

ある日、APMの一人が制作中のプロダクトをメイヤーに披露した。彼女は言った。「このページはごちゃごちゃしすぎ。すべてのフォントスタイル、すべてのフォントサイズをチェックしなきゃだめ。そして、異なった色やフォントサイズを見つけるたびに、一点ずつ加算していくの。ぜんぶで五点以内にして」

この「五点以内」という言葉がノートに書きとめられ、ルールになった。そして、五点を超えるページがいつしかなくなっていた。

もう一つのルールは、プロダクトを〝九八パーセント〟のためにデザインすること。メイヤーにとって、ゼロックス社のコピー機がその最たる例だ。ゼロックスのコピー機にはホチキス止めやページの並べ替え、あるいはファクスといった便利な機能が満載されている。しかし、利用者がコピー機の前に立ち、大きな緑色のボタンを押しさえすれば、普通のコピーが始まる。メイヤーは、優れたプロダクトにはこのような大きなボタンが欠かせないと考えていた。使用ケースの九八パーセントがこれ一つでことたりる。そんなボタンだ。すぐに見つかって、簡単で、楽しいボタン。

プロダクトのチェック過程で、メイヤーは各機能を使うのに必要なキーボード操作の数を数えた。数が多すぎると、つくり直しを命じる。

メイヤー自身、苦労して身につけたルールもある。二〇〇二年、メイヤーはクリシュナ・バーラトというエンジニアとグーグル・ニュースのサービスを開始した。しかし、思ったほどの人気は出ない。メイヤーはユーザーのデータを調べた。彼らはリンク部分には目もくれずに、画面を上下にスクロールしていた。知りたい情報が、画面の表に出ていないからだ。そこで彼女は、見たい情報、見たくない情報をユーザーが自分で選択することができるウィジェットを追加した。

ウィジェット追加の話を聞いたとき、ラリー・ペイジは激怒した。そんなもの、おれたちがつくるべきものではない! 彼はそう言った。〝マシンドリブン〟であることが、グーグル製品の特徴だ。つまり、人々の好みをプログラムが学習し、彼らが何もしなくても、適切な情報を提示する。

彼の言い分は、メイヤーのもう一つのルールとも一致している。グーグルのプロダクトは機械的な見た目をしていなければならない。必要以上のデザインはいらない。質素でなければならない。人の手が加わっている形跡を残してはいけない。

しかし、ある特定の条件がある場合、彼女は自分のルールを破った。ルールを破る理由となるテストデータをプロダクトマネジャーが示したときだ。グーグル・ニュースを通じて、メイヤーはテストデータの重要性を思い知った。二つの追加機能を搭載すべきかどうか、チームはリリースの直前まで悩んでいた。ニュースを日付順で並べ替える機能と、表示するニュースの地域をユーザーに指定させる機能だ。チームの意見は真っ二つに分かれた。議論は紛糾し、暗礁に乗り上げた。最後に、メイヤーが言った。二つのうち、一つだけ搭載しよう。彼らは地域による並び替えを選んだ。そして、次の月曜日にグーグル・ニュースをリリースした。夕方五時、メイヤーはユーザーから送られてきた三〇〇のメッセージを読んでいた。そのほとんどが、日付ごとの並び替え機能を望んでいた。

ユーザーへの共感を深めるために、メイヤーは自分をユーザーと同じ環境に置き、彼らを〝模倣〟することに努めた。たとえば、メイヤーは一般のアメリカ家庭に高速なブロードバンド環境が普及するまで、自分も低速なインターネット回線を使い続けた。グーグルの新規株式公開で数百万ドルを手に入れたあとも、ネットショッピングをするために週末にわざわざ会社に来ていたほどだ。仕事用のコンピュータのほうが、通信速度が速いからだ。それに、モバイルウェブのユーザーの大半がiPhoneを使っているという理由で、グーグルに勤めているにもかかわらずアンドロイドの携帯電話ではなくiPhoneを使い続けた。

UIミーティングで、ウィスコンシンに住んでいる母親の話を引き合いに出すことも多かった。そして彼女でも使えるような製品をつくることをメンバーに求めた。

メイヤーの考えは正しかったようだ。メイヤーが考えたとおりにユーザーはクリックした。それにともない、グーグル検索はインターネット業界でも最も利益率の高いビジネスとなり、グーグル・マップはマップクエスト(MapQuest)のシェアを飲み込み、Gメールはホットメールやヤフー・メールからユーザーを奪い続けた。

 

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