ココイチ創業者、引退後の音楽人生


宗次ホールは、4フロア吹き抜けの天窓から光が注ぎ、演奏会では音が降るように聴こえる。まるで教会のような響き。ステージと310の客席は一体感があり、建物全体が鳴るように感じる。

背景の白壁が潔く美しい。名古屋市栄にある宗次ホールの客席に立つのは、宗次德二氏。カレーチェーン、カレーハウスCoCo壱番屋(以降、ココイチ)の創業者だ。

2002年、「会社を引き継ぐ後継者が育った」と判断するやココイチの経営から退いた宗次氏は、翌03年に特定非営利活動法人(NPO)イエロー・エンジェルを設立。文化、芸術、スポーツの振興や支援や助成に力を注いでいる。

なかでもクラシック音楽への思いは強く、地域の学校の吹奏楽部に楽器を提供し、またストラディバリウスやドメニコ・モンタニャーナといったバイオリンをはじめとする世界的名器を演奏家たちに貸与している。

貸与する名器は30挺(ちょう)。楽器提供は170校

宗次ホールのステージから客席を望む。「多くの音楽家にここで演奏していただきましたが、そのなかでもピアニストの小山実稚恵さんの演奏は何から何まで素晴らしい。毎回必ず前日からホールに入って、指慣らしやリハーサルを行っています」。

「ここに10万円があるとしましょう。それを自分自身の物欲に使うのと、世の中の役に立とうと努力している人のために使うのでは、10万円の価値がまったく違います。楽器ならば、演奏する人はもちろん、音楽を通して多くのリスナーの心も豊かにすることができます」

宗次氏が楽器を提供する学校は170校に増え、貸与するバイオリンやチェロやビオラは30挺を数える。

そして、06年には28億円の私財を投じ、名古屋の中心地に客席数が310あるクラシック専用の宗次ホールを建てた。

「くらしの中にクラシック」

これが宗次ホールのキャッチフレーズ。15年の主催公演実績は年間403回。つまり、1日に2公演を行うことも珍しくない。その核といえるのが「ランチタイムコンサート」だ。

「午前11時半から一時間だけ行う演奏会です。チケット料金は1000円で、誰もが知る名曲を聴いていただきます」

宗次氏はなぜ、ここまで音楽に力を注ぐのか──。その理由には、10代の頃の原体験がある。

 

左:貸与する名器は30挺。現在は宮本笑里氏にドメニコ・モンタニャーナ、竹澤恭子氏にストラディバリウスを貸与。五嶋龍氏にもストラディバリウスを貸与していた。
右:初めて買ったレコードは直美夫人への誕生日プレゼントでヴィヴァルディの『四季』。ジャケットを開くと「なにもできないけど、これは一番好きなレコードです。大事に聞いて下さい。五月になったら二人でドライブに行きたいと思ってます 宗次」というメッセージが記されていた。

ココイチ経営の30年間は、友人も作らず仕事ひと筋

それは1964年のことだった。中古で譲り受けたテレビからメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が流れてきた。その調べは、当時16歳の宗次少年の心に潤いをもたらす。

「中学までは養父とふたり暮らしでした。父は働かなくて、私たちは貧しく、家賃を滞納しては追いだされ、引っ越しばかり。電気も止められる生活が何年も続いて。養母は愛想をつかして家を出たままでした」

そんな養父に胃がんが見つかり、この世を去ったのは、宗次氏が高校に入る頃だ。

「養父亡きあとは、離れ離れで暮らしていた養母と6畳ひと間のアパートで暮らし始めました。母のまかないの仕事で家賃と光熱費を払い、私はクラスメートの豆腐店でアルバイトをさせてもらって学費とわずかな小遣いを稼ぎ、ようやく人並みの暮らしを手に入れました。テレビが来たのはその頃です。同時期に、友人から、やはり5000円でナショナルのオープンリールのテープレコーダーを譲り受けましてね。私が初めて手に入れた宝物。嬉しかったですよ。とにかく何か音楽を録音したくて、テレビをつけました。すると、ちょうどNHK交響楽団がメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を演奏したんです」

宗次氏とクラシックとの出会いである。その日からはむさぼるように音楽を聴いた。

「第一楽章の、あのバイオリンの導入部が胸にしみましてねえ。録音して、毎朝必ず学校へ出かける前に聴きました。1カ月に1度くらい、近所の小学校の体育館で行われる、クラシックレコード鑑賞会にも欠かさず参加しました」

ホールや楽器にお金を使えば音楽を通じ多くの人を豊かにできる

宗次ホール1階の仕事場に、専用の部屋はない。宗次氏の日々はクラシック音楽と、全国での講演活動で明け暮れる。今も365日、毎朝3時55分に起床し、90分間、街の清掃を続けている。

初めて買ったレコードは、後に妻となる直美氏への初めての誕生日プレゼント。
「ヴィヴァルディの『四季』のLPレコードです。20歳の当時は会社員で、神奈川県に転勤中。ステレオセットを買った緑屋という月賦百貨店の隣のレコード店で、その頃最も人気のレコードがこれでした」

しかし、74年にココイチの前身となる喫茶店「バッカス」を始めてからは、30年近くクラシック音楽から離れた。
「経営ひと筋の30年です。私のような実績のない人間がビジネスで成功を収めるには、よそ見はいっさいダメ。心に誓いました。睡眠時間は1日4時間前後。毎朝5時前には出社し、お客様から届く1日約1000通のアンケートハガキに目を通しました。25歳から33歳までは友達をひとりも作りませんでしたね。スナックやクラブに足を踏み入れたこともありません。でも、楽しかったですよ。経営は右肩上がりで、社員や得意先の喜ぶ顔に囲まれていましたから。増収増益こそが、経営者として最高の喜びでした」

宗次ホールの収支決済は3年以内に黒字実現へ

クラシック音楽との”再会”は、すでにココイチの引退を決めていた2002年だった。

「仕事で博多へ向かう機内放送で、ルチアーノ・パヴァロッティのオペラ・アリアを聴きましてね。30年前のクラシックへの思いが蘇りました。宗次ホールの土地は偶然、前を通った時、競売の立て看板を見つけ、入札したら買えましてね。周囲の空き地や建物が老朽化した土地も交渉したら購入できたのです。250坪の広さになりましたから、自宅兼コンサートを楽しむサロンを作る予定から、急遽、本格的なコンサートホールに変更したのです」

ホールは、観客がいい音楽を体験できることを最優先に考えてつくった。

「3フロアを吹き抜けにし、その下に飲食店を作るつもりだったけれど、4フロアをホールにしました。飲食店のフロアはあきらめました」

その結果、高い天井から音が降り注ぐホールが実現した。

「私は自分のためにほとんどお金を使いません。今日も、スーツから靴まで合わせて3万円です。時計を加えても3万7800円。だけど、妻に言わせると、私がやっている音楽ホールの運営や楽器の貸与は最大の贅沢なのだそうです。それでも、あと3年以内には、ホールも黒字になる目算は立っています」

Tokuji Munetsugu

948年石川県生まれ。幼少期を施設で過ごし、4歳で養父母に引き取られる。74年に喫茶店「バッカス」、78年に「カレーハウスCoCo壱番屋」創業。82年に壱番屋を法人化し代表取締役社長、同会長を歴任。2002年からは創業者特別顧問。03年NPO法人イエロー・エンジェルを設立。

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