セイコーエプソンに学ぶ、“アプリの開発工数を3割減らす”方法


近ごろ、来日したある米ネット企業のCEOが「今後、全ての企業は“ソフトウェア企業”になる」と発言して話題を集めた。この言葉が多くの人から共感を得たのは、インターネットやモバイルデバイスが、社会に「当たり前」のものとして根付きつつあるという実感があるからだろう。

企業は顧客や消費者とのコミュニケーションに、インターネットやモバイルデバイスを“当たり前のもの”として使い始めており、その波はこれまでITとの関わりが薄かった製造業や小売業にも押し寄せている。

しかし、製品の一部として、あるいはマーケティングツールとして企業が自らモバイルアプリの開発や配信を手掛けるようになると、大きな壁に直面することになる。それは「アプリ開発にかかる手間やコストの増大」という問題だ。

優れたUIを備え、ユーザーをワクワクさせる機能強化を図りながら、マルチプラットフォーム対応のアプリをセキュアに配信し続けるためには、アプリ開発の効率化が欠かせない。しかし、アプリの数や対応するOSのバージョンが増えると、開発に掛かる工数や雑務が増えるため、対応に伴うコストがかさむだけでなく、本来、注力すべき“品質の向上”に向き合う時間が犠牲になることすらあるという。

マルチプラットフォームとは、あるコンピュータプログラムソフトウェア)を、複数の異なる仕様の機種やOSで同じように動作させられること

→e-words参照

こうした課題を解決するためのソリューションとして、今、注目を集めているのが、マルチプラットフォーム対応のモバイルアプリ開発、運用基盤だ。モバイルアプリ開発プラットフォームの導入で、3割近いアプリ開発の工数削減に成功した「セイコーエプソン」の担当者に、導入の背景と効果について聞いた。

ゴルフスイング解析システム向けのアプリ開発で感じた課題

Photo M-Tracer For Golf(ダミー画面)

「セイコーエプソンのセンサーが持つ性能を、一般の方々に分かりやすく示せると考えたことから、ゴルフアプリの企画・開発がスタートしました」――。一般ゴルフプレイヤー向けのスイング解析システム「M-Tracer For Golf」の開発を手掛ける、ウエアラブル機器事業部S企画設計部部長の加納俊彦氏は、アプリの開発背景についてこう話す。

M-Tracer For Golfは、ゴルフのスイングをさまざまなセンサーから得た情報を基に分析し、正しいフォームに改善するための手助けをするサービス。ゴルフクラブに取り付けるセンサーデバイスと、デバイスから取得したデータを分析し、ユーザー向けに可視化して提示するiOS/Android対応のモバイルアプリで構成される。

2014年2月に、フルスイング対応版の「MT500G」を発売し、同年10月には強化版の「MT500GII」をリリース。2015年6月にはパッティングの解析に対応した新モデル「MT500GP」を発売するといったように、短期間のうちにラインアップを拡充している。

ゴルフクラブに装着するデバイスは、角度や速度、直線加速度のセンサー群を内蔵しており、スイングの状態を高精度、高頻度で取得できる。モバイルアプリ側では、センサーが取得したデータを分析し、スイングの様子を詳細な3Dモデルや時系列に沿ったアニメーション、グラフとして提示。ユーザーは、こうした情報を見ながら自分のスイングを改善できるというわけだ。

Photo
パターを打点や方向、ストロークなどさまざまなセンサー情報を元に分析する「M-Tracer For Putter」は6月に登場したばかりの新アプリ

Photo
M-Tracer For Golfの開発を指揮するウエアラブル機器事業部S企画設計部部長の加納俊彦氏

製品化にあたっては、「センサーから取得したデータの見せ方」が重要だったと加納氏は振り返る。ゴルフを楽しむ人たちは必ずしもITに詳しい人ばかりではない。そのため、いかに見やすく使いやすく、分かりやすいモバイルアプリ(ソフトウェア)を開発するかが重要だったという。こうした背景もあって、M-Tracer For Golfのアプリ開発は、初期版の開発段階から苦労が絶えなかったそうだ。

「フルスイング版(初期版)のアプリ開発には苦労しました。当時はiOS版、Android版をそれぞれ別に開発しており、最初はiOSのみの提供でスタートしました。Android版は後追いで開発し、リリースは数カ月遅れの提供だったのです。また、このアプリはユーザーのフィードバックを得ながら、短期間でバグフィックスや機能改善を続けていく性質のものであり、今後のことを考慮しても、クロスプラットフォーム向けアプリ開発の生産性と保守性を高めていく必要性を強く感じていました」(加納氏)

クロスプラットフォームとマルチプラットフォームは同じ呼称

フロントに加え「バックエンド」の環境が整っていることが重要

Photo
セイコーエプソン ウエアラブル機器事業部S企画設計部主任の北田成秀氏

アプリ開発の工数が予想以上だったことから、同社では「マルチプラットフォーム向けモバイルアプリ開発、運用基盤」を検討し、IBMが提供する「IBM MobileFirst Platform」(以下、MobileFirst)の導入を決めた。

現在、クロスプラットフォーム対応のアプリ開発ツールは、複数のベンダーから提供されている。その中からMobileFirstを選択した理由について、セイコーエプソン ウエアラブル機器事業部S企画設計部主任の北田成秀氏は「フロントのアプリ開発だけでなく、今後求められるモバイルアプリの品質や運用体制の要件を考えたとき、システム全体での優位性が高いと判断した」と話す。

「開発環境の改善を検討するにあたっては、オープンソースのものも含めて、いろいろと検討しました。その中で、アプリの保守や運用を考慮したバックエンドの環境までを提供しているものは多くなかったのです。例えば、今では当たり前になっている、アプリを通じた企業からユーザーへの通知機能、ユーザー認証などのセキュリティ機能、継続的なアップデートのための機能を実現する環境を独自に構築しようとすると、そのための負担やコストが大きくなりすぎてしまいます。MobileFirstでは、それらの機能がすぐに利用できる形で用意されている点が大きなポイントになりました」(北田氏)

Photo
バックエンド: back-end)は、プロセスの最初と最後の工程を指す一般的用語である。
IBM MobileFirst Platformは、iOS、Androidのネイティブアプリ、Webアプリを含む複数のモバイルアプリ開発を同一のソースコードをベースに行えることに加え、バックエンドシステムとの連携で、ユーザー認証を含むセキュリティ機能、デバイスの機能とデータベースとを連携したパーソナライズ機能、デバイスへの一斉通知機能など、一般的なモバイルアプリの開発と運用に求められる機能を一連のソリューションとして提供する

 2014年9月、セイコーエプソンはMobileFirstを導入。2015年6月にリリースされたM-Tracer For Golfのパター対応版アプリ「M-Tracer For Putter」の開発に同環境を活用し、iOS、Android向けアプリの同時リリースにこぎつけた。

導入から約1年が経過した今、最も大きな成果は、従来はiOS、Android OSの順に進めていたアプリ開発とアップデートを、同時並行で進められるようになった点だという。

M-Tracer For Golfのモバイルアプリは、主にユーザーインタフェースなどの共通部分をWebアプリとして、特にパフォーマンスが求められるデータの分析部分やグラフィック表示部分といったコア機能をネイティブアプリとして開発している。従来、プラットフォームごとに個別に開発する必要があった共通機能に関して、MobileFirstを活用することで、ワンソースでの開発が可能になったという。

「フルスイング版のアプリを個別に開発した時と比べて、MobileFirstを活用したパター版アプリでは、全体の開発工数は3割ほど削減されています」と北田氏は話す。また、アプリ自体のバグフィックスや、OSのアップデートに合わせた修正対応も、従来よりも迅速に行えるようになったという。

モバイルアプリは自社の技術を分かりやすく伝える「架け橋」

セイコーエプソンでは、MobileFirstによる開発生産性のさらなる向上と、バックエンドの各種機能を生かしたアプリ品質の向上、ひいてはユーザー満足度の向上に注力していきたいと話す。また、M-Tracer For Golfでの実績をベースに、今後、ウエアラブル機器事業部が開発する他の製品向けのアプリについても、同基盤上での開発運用を検討している。

「センサー機器のようなデバイスを提供しているメーカーは、その性能をアピールするためにセンサーが取得した『データ』そのものを見せるわけですが、そこで終わってしまうケースが多い。しかし、ユーザーはデータだけを見たところで、その意味を理解できないことがほとんどです。M-Tracer For Golfのモバイルアプリは、データを視覚的に変換し、ユーザーにその意味を理解してもらい、活用してもらうための架け橋としての役割を担っています。特に、IoTなどが注目される昨今、異業種とのコラボレーションを進めるにあたって、こうした架け橋を、センサーベンダーも率先して用意し、自社の強みを理解してもらうことが大切になると考えています」(加納氏)

IoT(モノのインターネット)とは、コンピュータなどの情報・通信機器だけでなく、世の中に存在する様々な物体(モノ)に通信機能を持たせ、インターネットに接続したり相互に通信することにより、自動認識や自動制御、遠隔計測などを行うこと。

→e-words参照

コアビジネスを支える重要な要素として「アプリ開発」を位置付けつつある多くの企業にとって、セイコーエプソンの取り組みと、アプリ開発体制における課題の克服手法には、参考になる部分が多いはずだ。

Photo 加納氏が所属するウエアラブル機器事業部は、2015年4月、その前身である「センシングシステム事業部」と「ウオッチ事業部」が統合して新設された組織で、旧センシングシステム事業部では、コンシューマー向けのランニング用GPSやヘルスケア向けの電子機器、建築や農業といった産業向け高精度センサー開発などを手掛けてきた。エプソンでは、このセンシングシステム事業とウオッチ事業の事業基盤と技術の強化・融合により、リスト機器を含むウエアラブル商品の販売拡大と事業成長を目指している

One thought on “セイコーエプソンに学ぶ、“アプリの開発工数を3割減らす”方法

  1. Pingback: Peruvian alpaca clothing the best alpaca shop of peruvian clothing

Comments are closed.