心に響く名言。ホンダの1代目社長 本田宗一郎が残した伝説の言葉!


〜本田総一郎の略歴〜

高等小学校を卒業後

1922年(16歳)自動車修理業のアート商会に就職
1928年(22歳)浜松アート商会を設立
1933年(27歳)磯部さちさんと結婚
1937年(31歳)東海精機重工業株式会社と社名を変更し社長となる
1946年(40歳)戦後、本田技術研究所を設立、所長となり内燃機関や機械類の研究・開発に従事、自転車の補助エンジンの販売を始める
1948年(42歳)本田技術研究所を基礎に本田技研工業株式会社を設立し、その取締役社長となる
1958年(52歳)小型バイク「スーパーカブ」発売し大ヒット
1959年(53歳)以降TT(Tourist Trophy)レースに出場
1961年(55歳)TTで完全優勝を果たし、世界的な名声を得る
1963年(57歳)この年以降は四輪車にも進出し、ホンダを自動車企業として世界有数の企業に仕上げるまで、自ら発明・工夫・設計の任に
1973年(67歳)あっさりと社長職を引き、その後は最高顧問として、文化活動に従事
1991年8月5日、84歳で逝去

 

「日本一になるなどと思うな。世界一になるんだ。」

ホンダが東京に進出したとき社員に向かって言った言葉です。

「技術者の正装とは、
真っ白なツナギ(作業着)だ。」

皇居での勲一等瑞宝章親授式へ出席の際、「技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ」と言い、その服装で出席しようとしました。

「天皇陛下の御前では失礼に当たります。これまで正装(燕尾服)以外で親授式に臨んだ受章者は誰1人おりません。」という説得にも耳を貸そうとせず「いなくたっていいじゃないか。俺は白の作業着を着たいんだ」と強硬に言い張ったものの、さすがに周囲に止められ最終的には社員が持っていた燕尾服を着用したというエピソードも。

「握手すると、みんな泣くんだ。そして、その涙をみて、自分も泣くんだ。」

社長を辞めた後、日本中にある、本田の事業所や販売店、工場など、当時700ヶ所あったそうですが、その700ヶ所すべてを回って、すべての従業員一人一人と握手し、「ありがとう、ありがとう、いつもありがとう!」と言い続けたそうです。
その後も、海外の事業所も全部まわったという本田社長。その当時の言葉がこちらです。

「こんなところで遊んでないで、さっさと帰って油まみれになって働け!」

経営者向け勉強会に講師として呼ばれたときに発した言葉です。理論や勉強は大切だがそれ以上に実務の中で培われるものを大切にし、一生懸命汗水たらして自分の事業を行えと戒めた言葉です。

「万が一地震が起こったときに、
割れたガラスが歩道を歩く人に
降りかからないようにしなさい。」

本社ビルを建設するときの言葉です。本社ビルの全フロアには、割れたガラスが歩道に落ちないようにバルコニーが設置されています。

「99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である。」

【全文】「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である。私の現在が成功というのなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることになる。私の仕事は失敗の連続であった。」

「息子や親せきでないと社長にしないとか、東大出でないといかんとか…会社は大勢が飯を食うところ。そこを忘れたら会社は潰れますよ。」

【全文】「息子や親せきでないと社長にしないとか、東大出でないといかんとか…企業に関係のない条件で社長を選んでいるところがある。みんなが見ているというのに、それでいいと思っているんですかね。会社は大勢が飯を食うところ、大勢の生命の源泉です。そこを忘れたら会社は潰れますよ。」
今現在もホンダの社長は2代目以降も能力重視で、現場たたき上げの人間が多数を占めています。

「自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。拝む心がなければ人は動かない。」

【全文】「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。拝む心がなければ人は動かない。つねに素直に。」

「気に入った人間ばかり入れるな。
理解できる人間ばかり入れるな。 それでは、君たち人事担当者以上の
人間は採用できない。」

人事担当者に対しての言葉です。

「人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。」

【全文】「世の中で一番素晴らしいものは若者のエネルギーだよ。こりゃあ進歩の原動力だ。社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、老害以外の何物でもないからね。そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。」

「通産省に言われたことと全部反対のことをやってきた。だから、ホンダの今日がある。」

「人真似をするな。楽をしたければ人真似をするのも自由だが、そうなると企業は転落と崩壊の道をたどり始める。」

「俺にとって女房は昔からセーフティ・バルブの役目だった。」

【全文】「誰か口の悪いのが俺のことを、亭主関白の恐妻家だって言いやがったのが、言いえて妙だねえ。俺は外じゃ誰にも迷惑をかけないが、家じゃ女房に厄介をかけてばかりいる。だから頭が上がらないわけだ。俺にとって女房は昔からセーフティ・バルブの役目だった。」

「技能というものは、その人一人の性格にこだわるから不安定である。アイデアで解決したものは安定している。」

「成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。」

「学問なり技術を人間のために有効に使ってはじめて、優れた人間だということができるのだ。」

【全文】「学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、それを人間のために有効に使ってはじめて、優れた人間だということができるのだと思う。何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか。」

「いや、いいんだよ、その油まみれの手がいいんだ。俺は油の匂いが大好きなんだよ。」

本田氏がある社員と握手をするために手を差し出すと、その社員は握手をためらいました。なぜなら自分の手が仕事で油まみれなので本田氏の手を汚してしまうと思ったから。上記はその社員への言葉です。

「チャレンジしての失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ。」

【全文】「チャレンジしての失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ。失敗が人間を成長させると私考えている。失敗のない人なんて本当に気の毒に思う。困れ。困らなきゃ何もできない。自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。」

「新しいことをやれば、必ず、しくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。来年も最高のエンジンを作ってやる。」

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